黄金時代の出版業界で学んだこと(Vol.3)
Good People & Good Coffeeの代表、池田誠さんにお話をお伺いしているプレミアムコラム。今回は、池田さんが出版業界でライター、スタイリストとして活躍されていた頃のお話を伺いました。
時代の移り変わりとともに、状況が変わっていくメディアの中で感じた事、そして決断した事とは?
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- 知識を活かしてストリートブームを牽引
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- 大井
- ここからは池田さんのお話をお伺いします。お店を始める前は、出版業界にいらっしゃったということですが、どのように業界に入られたんですか?
- 池田さん
- 高校生の時、バイトしていた洋服屋さんに雑誌の人が地方取材で来ていて「雑誌の世界っていいな」と当時から思っていました。ただ直接的なきっかけは、大学の先輩と一緒に手伝うことになった出版会社主催のイベントですね。それは“東京ストリートニュース”いわゆる“ストニュー”の立ち上げイベントだったんです。
それをきっかけに雑誌社に売り込みに行ったところ丁度、人手不足だったこともあって“COOL TRANS(クールトランス)”というメンズ雑誌の立ち上げ号を準備していたライターさんのアシスタントにつかせてもらえて。何号か一緒に仕事をした後に独り立ちすることになったのですが、その人がすごくいい方で色々な出版社の方を紹介してくれたので、ライターとしてのスタートを “Hot-Dog PRESS(ホットドッグプレス)”できることができました。
- 大井
- 黄金時代の人気雑誌ばかりですね。
- 池田さん
- そうでしたね。最初はHot-Dog PRESSとCOOL TRANSの2本柱で仕事をしていたんですが、1990年代に入ってストリートブームがやってきて。要はエアマックスやエアジョーダンのブームです。僕は無駄にそのジャンルの知識があったので(笑)、そこを重宝してもらえてありがたいことに仕事に恵まれました。
- 大井
- もともと、ストリートの知識があったのはなぜですか?
- 池田さん
- 昔から映画が好きで、子供の頃からアメリカのファッションやカルチャーに興味を持っていたんですね。中学生の頃はすでにアメリカかぶれしていて(笑)、ETやグーニーズの映画にでてくるBMX(自転車)に乗り、バックパックで登校していました。
中3の時には、スケートボードの第二次ブームが来て、音楽ではBeastie Boys(ビースティ・ボーイズ)、ヒップホップ、ファッションと全部絡めてアメリカンカルチャーに目覚めていったんです。僕らの世代はだいたいみんなそうなんですよ。そのアメリカンカルチャーは、その頃の日本とは全く違う衝撃的なものでした。
- 時代が変わっても、“変わらないもの”とは
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- 大井
- ストリートブームがあり、出版業界で活躍されていって、その後はどう変わっていきましたか?
- 池田さん
- 2000年代に入ると、雑誌に代わってネットが急成長してきて、僕自身も雑誌の仕事より広告やブランディング、プランニングという仕事がメインになっていきました。さらにその後、スマートフォンが登場したことで、さらに紙媒体の売り上げが下がっていくのも見ることになって、正直怖くなってしまったんですよね。自分が雑誌に多く関わっていた分、余計に「今後、雑誌やメディアはどう変わっていくんだろう」って。
昔、雑誌で仕事をしていた人は、同じように仕事をするのが難しくなりましたし、昔は商品を作る企業もメディアに頼らないと売れなかったのが、今やネットやアプリの普及とともに自社媒体を持ったり、SNSを活用するというスタイルに変わってきました。
そうやって環境や状況が大きく変わっていく中で、自分にとって“変わらないもの”って何だろうと考えるようになったんです。メディアやそれを見るデバイスは10年で変わるかもしれないけれど、自分の好きな自転車やコーヒーは10年経ってもそのままだなと。それで自転車仲間の岡本と話をして始まったのがGP&GCです。はじめは自転車のメンテナンスをしながら仲間たちと飲んだり、自分たちでコーヒー豆を手売りしてた時期もあって。自転車で焙煎所に取りに行って、自分たちで詰めて、自転車で配達してっていうのを2年くらいやって、その後にお店を出しました。
- 大井
- 岡本さんとのタッグはその頃からなんですね!そんな時代があったというのは初めて知りました!
- この続きは、Vol.4「憧れの世界に導いてくれた “あの場所”を目指して」で!次回は7月12日(火)公開です。どうぞお楽しみに!
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