スノーボーダーがバリスタになった理由(Vol.3)
オーストラリア発のチャイブランド“PRANA CHAI”を日本で広める活動をしている野村さんにお話を伺っているプレミアムコラム。今回は、野村さんがメルボルンへバリスタ修行に行かれるまでをお聞きしました。
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- 大井
- ではここからは野村さんが住まれていたオーストラリア・メルボルンの話をお伺いします。私はオーストラリアに行ったことがないのですが、どんな国でしょうか?
- 野村さん
- まず最初に思い浮かぶのは“フレンドリー”というイメージ。誰とでも目が合えばニコッとしますし、人と人の間に壁がないですね。
- 大井
- 先ほどインタビュー中にいらっしゃったメルボルンのお客様も「メルボルンに来るときは連絡して」って言ってくれましたよね。
- 野村さん
- そうそう。すごくオープンで正直で素直。気遣いとかはないに等しいと思います。優しいのは「優しくしているんじゃなくて、優しいから」っていう国ですね。
- モノづくり文化のある街、メルボルン
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- 大井
- 野村さんが住まれていたメルボルンはどのような街ですか?
- 野村さん
- 行く前はTシャツ、短パン、ビーチサンダル、っていうカジュアルなイメージだったんですけど(笑)実際のメルボルンは、ヨーロッパの移民が多いのでオシャレな街でした。ファッションがものすごく盛んだし、クリエイターも多い。レザークラフトなど、モノづくりが大事にされています。
- 野村さん
- だからコーヒーに対しても手を抜いたものは支持されないと思うんです。
- 大井
- なるほど。大量生産よりも一つ一つ手作りで丁寧に……という文化があるということですね。野村さんは今年の4月に帰国されるまで4年間メルボルンにいらっしゃったということですが、どのような経緯でメルボルンへ行くことになったのでしょうか?
- 野村さん
- 僕は新潟生まれで、地元の大学に進学したのですが、その頃スノーボードに夢中になっていて、「冬だけじゃなく一年中スノーボードをやりたい!」と、神奈川県の横浜にある室内ゲレンデの近くに引っ越したんです。そのタイミングで、チェーン店のカフェで働き始めたんですよね。
- 大井
- カフェで働き始めたのはなぜですか?
- 野村さん
- 今の奥さんが以前、ニュージーランドに留学していて、バリスタという職業を僕にすすめてくれたんです。「人が好きだし、器用だからいいんじゃない?」と。
- 大井
- そうなんですね!奥様のそのアドバイスがなければ今は!
- 野村さん
- そうなんです。(笑)で、実は僕がバイトしていた室内ゲレンデ施設の近くにあったのが、TERA COFFEE。そこで飲ませてもらったスペシャルティコーヒーに衝撃を受けてコーヒーへの興味が沸いていきました。それから、GLAUBELL COFFEEの狩野知代さんのセミナーに行ったりして、さらにコーヒーにはまっていったんですね。
- 野村さん
- そうこうしているうちに、友達が長野県の白馬にコーヒーショップを出すことになったので立ち上げを手伝い、その店の店長をしていたこともあります。豆に興味がわいて手焙煎を始めたのもその頃ですね。その頃の生活は面白かったですよ。朝から店に立ってその後スノーボードをして、夕方からまた店に立ち、夜は焙煎……って。(笑)
- 大井
- え(笑)。すごい。
- 野村さん
- 焙煎については、その時から自分でノートを作っていて「なんでこんなに味が違うんだろう」と研究していました。
- 大井
- ノーボードに熱中していた青年が、そんな風にハマった理由はなぜだと思いますか?
- 野村さん
- コーヒーは見た目一緒なのに味が全然違うから面白かったんですよね。それが一番ですね。
- 大井
- 白馬の方でコーヒー屋さんをやっていて、その後はどうなるのでしょうか?
- 野村さん
- お店にオーストラリア人のお客さんが来て「お前のコーヒーは美味しいからうちで一緒に働きなよ」と言ってくれたんです。結果的には、そのお客さんが住んでいる街ではないメルボルンを選び、違う店で働くことになったのですが、オーストラリアに行くきっかけになったのはそこでしたね。
- 大井
- 最初からカフェで働き始めたんですか?
- 野村さん
- 最初は英語が話せなかったので日本食レストランで3ヵ月ほど働いていました。でも、そこはコーヒーにすごくこだわっていて、メルボルンで有名なスペシャルティコーヒーの豆を使っていたり、世界大会にでるような有名バリスタが偶然働いていたんです。だから色々と教えてもらいました。(笑)その日本食レストランを辞めた後に働いたのが、PRANA CHAIを創業したマリオのいるBalmains Brighton。4年間メルボルンにいる中で、3年間働きながら、他の店を掛け持ちしていました。
- 大井
- 働くカフェを掛け持ちしていたということですか。
- 野村さん
- めっちゃめちゃしましたね。4年間で10軒以上のカフェで働いたと思います。やっぱり色々なところで働くと、客層が違ったり、ニーズ違ったり、使う豆も機械も違うので、勉強するにはすごくよかったんです。
- この続きは、Vol.4「日本とメルボルン、カフェ文化の違いとは」で!次回は8月2日(火)公開です。どうぞお楽しみに!
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