旅を通じて気付いた、人生のポリシー(Vol.3)
大工からバックパッカーとなって旅に出かけたことが、バリスタ人生につながる第一歩目となった坂尾さん。 Vol.3ではバックパッカー時代に気付いた人生のポリシーと、2年半勤めたコーヒー専門店から独立することを決めたその理由を伺いました。
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- 大工からバックパッカーへ。人生を変えた出会い
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- 大井
- 坂尾さんは以前、大工さんをされていたことがあると伺いましたが、どんなきっかけで大工さんになられたのですか?
- 坂尾さん
- 父が工務店をやっていたので、自然な流れで建築の専門学校に行って、ゆくゆくは父と一緒に仕事をするんじゃないかなと思っていました。東京に出てきて、ゼネコンに入って、少し社会勉強をしたら実家に戻ろう、そう思って建築をやっていました。
- 大井
- 昔から“もの作り”が好きだったんですか?
- 坂尾さん
- そう言われると疑問なんですけど……(笑)。小さい頃から父の仕事を手伝ったりはしていましたね。家の倉庫が遊び場でしたし、夏休みは父の仕事を見ていたりもしたので、大工は身近だったんでしょうね。
- 大井
- 東京で働かれた後、地元に帰って、地元で出会った外国人バックパッカーとの出会いからそれが大きく変わったと伺いましたが。
- 坂尾さん
- そうですね。地元で出会ったバックパッカーと話していたら、「日本は狭いから、ヒッチハイクで回れる」と言ったんです。僕はスケールの違いに衝撃を受けて、それで海外に出たいと思いました。それに深夜特急の沢木幸太郎さんに影響を受け、昔からバックパックはしてみたいなと思っていたんです。
- 自分で道を決めなければ、前に進めない
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- 大井
- オーストラリアで語学を学んだ後、アジアを回られたとのことですが、バックパッカーをやったことで、その時の体験が今につながっていることはありますか?
- 坂尾さん
- 海外に出た人はみんなそうだと思うんですけど、“自分で決めないと次に進めない”じゃないですか。バックパッカーは自由なので「この街、好きだな」と思ったら長くいることもできるし、「好きじゃないな」と思ったら次の日には別の街に移動することもできる。信頼のおける友達もいない中で、“常に自分で決断して動く”の繰り返しなんですよね。それは僕の今の自信にはなっているかなと思います。
- 大井
- 敷かれていない道を自分で切り拓いていくという感覚ですよね。
- 坂尾さん
- そうですね。今は、もちろん仲間もいるんですけど、自分で考えて決めたい、誰かに強制されてやることはあまりしたくないと思っていますね。
- 生活に溶け込んでいたオーストラリアのカフェ文化
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- 大井
- ちなみに、コーヒーに出会われたのはオーストラリアですよね。オーストラリアは食文化も豊かですし、スポーツも盛ん。色々なものがある中で、なぜコーヒーに関心を持たれたんですか?
- 坂尾さん
- オーストラリアに行く前に「カフェをやりたいな」と思っていたんですよ。当時、東京はカフェブームでおしゃれなカフェやスタバが流行っていて、それこそオシャレなところでコーヒーを飲んだらデートはそれでOKみたいな時代でしたね。
日本ではカフェはわざわざ予定を立てて行く場所でしたけど、僕が見たオーストラリアではたくさんの人が毎朝コーヒーを飲んでいて “カフェが生活の中にある”というのが一番衝撃的でした。「すごいな。僕も生活の中で自然に行けるお店ができたらいいな」と思いました。
- 大井
- そうだったんですね。オーストラリアのカフェ文化を知って、実際にバリスタになったのはバックパッカーを終えて帰国してからでしょうか?
- 坂尾さん
- はい。オーストラリアのコーヒーはバリスタが作っているイメージがあったので、東京に戻ってからはバリスタが美味しいコーヒーを作っているお店を探してポールバセットに入りました。
- 後悔しない人生のための決断
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- 大井
- ポールバセットで働かれてちょうど2年半ぐらい経ったころでしょうか。2011年に東日本大震災が起こって、坂尾さんはボランティアに行かれたと聞きました。その時、なぜボランティアに行こうと思われたんですか?
- 坂尾さん
- すごく自然な感じでしたね。特に悩まずに、「とにかく行きたい」と。アジアをバックパックしていた時、訪れた国の多くは途上国やチベットのような田舎で、ボランティアに参加することがよくありました。そういう場所に行くと先進国に生まれている人は、「自分に何かできることがあるんじゃないか」と、ほぼ100%の人が感じると思うんです。
ボランティアから帰ってきてまだ3年ぐらいでしたし、東日本大震災の時は「自分たちの国が困っている状態なのに今、自分が何もしなかったら将来、外の国のために何もできないだろうな」と。
ただ、震災が起きてすぐ動けたわけじゃないんです。ポールバセットでは、バリスタとしてゼロからの教えてもらったので勉強になることも多かったのですが、会社ということもあって、当然ですが自分が考えで動くことを100%できたわけではありませんでした。そういう状況を変えたいと少し感じ始めていた頃でしたね。
- 大井
- 会社に属していることで、ボランティアを含めて坂尾さんがやりたいことをすぐにできなかった。それがきっかけで独立しようと思われたのでしょうか?
- 坂尾さん
- そうですね。それから、ボランティアに行って、被災地のおじいちゃんおばあちゃんと話した時に「物やお金は本当に一瞬でなくなってしまった。人もたくさん亡くなったし、何があっても後悔しないように生きてほしい」と言われたんですね。建物が倒壊していて、余震も多い中で、そういう話をされた、その影響は大きかったと思いますね。
- 大井
- そうだったんですね……。東日本大震災は大きなきっかけになっていると思いますが、独立を決めたのは他にも理由があるのでしょうか?お店を立ち上げるのはそう簡単なことではないと思うんですね。
- 坂尾さん
- そんなことないですよ。簡単ですよ、お店は。
- 大井
- ……。そうですか!?すごく大変じゃないかと……。
- 坂尾さん
- いや、そんなことないですよ(笑)。僕が始めた奥沢の店はすごく小さいですし、お金だって何千万も使ってない。やろうと思ったら誰でもやれるんじゃないですか。
- 大井
- できる人とできない人はいると思いますが……(笑)。いずれにせよ、坂尾さんは“自分が納得できるように、自分で全てを考えて動いきたい”という想いで、店を立ち上げられたんですね。
- 坂尾さん
- そうですね。何かあったときのために、「100%自分で考えて動けるようになりたい」というのはありましたね。
- この続きは、Vol.4「コーヒーを通して伝えたい、日常の大切さ」で!次回は10月4日(火)公開です。どうぞお楽しみに!
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