5日間のトライアル採用から始まったバリスタ人生(Vol.3)
TRUNK COFFEの鈴木さんにお話を伺っている対談Vol.3。バリスタ未経験の中で勝ち取った“5日間のトライアル採用”から、鈴木さんの人生は大きく変わっていきます。Fuglen Tokyoのオーナーである小島さんとの出会い、そして店舗立ち上げ時の話を伺いました。
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- 大井
- 働き始めて、最初の5日間はどんな5日間でしたか?
- 鈴木氏
- もう必死でしたね。というかもう何もわかんないわけじゃないですか。だから全てに興味津々でした。もう楽しくてしょうがないっていう状態ですね。完全に素人がマシンに触るわけなので、もうそこに立つだけで、それだけで嬉しかったです。ただ、その中でどれだけ自分の存在をPRできるかっていうのは常に考えてはいました。なんせ初めてですし、デンマーク語がわからないし……。
- 大井
- 知識が無い中で、どうやってアピールしたのですか?
- 鈴木氏
- とにかく動きまくるっていう(笑)できることを探して見つけてやるっていう感じでした。
- 大井
- そうすると、お店のスタッフの人たちの見方が変わってきたという感じですか?
- 鈴木氏
- 最初、「5日間来ていいよ」と言われただけなんですけど、6日目7日目に来るなといわれたわけじゃないですよね。だから勝手に、6日目も7日目も行き続けたんですよ。「来るな」といわれるまでいこうと。
- 大井
- 笑
- 鈴木氏
- そうやって、とにかくやり続けていくうちに「いないとなんか足りないぞ」っていう状況を作っていきましたね。必要とされるようになって、やっと少し落ち着いてきて、他のことも見られるようになっていきました。
- 大井
- (笑)すごい粘りですね。せっかく掴んだチャンスですもんね。実際にデンマークで働き始めて驚いたことはありますか。
- 鈴木氏
- とにかくよくコーヒーを飲むことですね。カフェに行って、普通にお客さんが何杯もコーヒーを飲むんですよね。
あと、どのカフェに行っても聞いたら色々なことを教えてくれる。例えば「抽出ってどうやっているんですか?」とか。全然隠さずに「これはこういう理由で、こういう風にしたいから、こういう抽出方法をしています。」と教えてくれるんですよ。日本の職人文化だと盗まれたくないから隠すっていうのがあると思うんですけど、教えてくれるんだっていうのが新鮮でした。
おかげで知識をいっぱい身につけることもできたし何よりも、みなさんフレンドリーに出迎えてくれるので、コーヒーを通じて北欧の人だけでなく、世界中の人との繋がりができました。
- 大井
- ちなみに特にお世話になった方とかはいらっしゃるのですか?
- 鈴木氏
- The Coffee Collectiveや、小さなロースターさんで色々教えてもらっていました。あと面白いのが、Fuglen Tokyoの小島がそのときノルウェーにいたんですね。
- 大井
- そうなのですね!
- 鈴木氏
- 知り合いのつながりで、「小島がデンマークにくる」というのを聞いて、その時、初めて会いました。小島は僕より経験があったので、「コーヒーを教えてくれるなら、うちにタダで泊めてあげる」と言って。その時のつながりでFuglen Tokyoオープンのときに声かけてもらったんです。
- 大井
- Fuglenが東京に上陸したとき、日本はまだ、そんなにコーヒーブームではなかったと思うんですけど、どうでしたか?
- 鈴木氏
- 全然ですね。
- 大井
- ブームじゃないときに、上陸することになったのは何故ですか?
- 鈴木氏
- オーナーの一人が、ノルウェーのバリスタチャンピオンなんですけど、そのときのワールドチャンピオンシップをやった場所が日本だったんですよね。彼は、世界へ情報を発信する都市に店を出したいと考えていて、アジアだと東京だったみたいです。
- 大井
- なるほど。最初、Fuglenは小島さんとお二人でやられていたのですか?
- 鈴木氏
- そう、二人だけだったんですよ……(笑)
- 大井
- え、本当にお二人だけだったのですか!?(笑)
- 鈴木氏
- はい(笑)Fuglenは、世界的には有名なお店でけど、当時日本では「何?」っていう話じゃないですか。だからオープンしてすぐなんて、小島と二人で外のベンチ座って、「ヒマだね~」って話してましたよ。(笑)その後、ライフスタイル誌に載ったことで一気に火がついてメディアに注目されるようになりました。
- 大井
- なるほど。デンマークから東京に戻ってきて、また違う文化のところに来たわけじゃないですか。そこで改めて感じたことは何かありました?
- 鈴木氏
- 正直、最初はがっかりしましたね。
- 大井
- それはなぜですか?
- 鈴木氏
- 需要が少ない。
- 大井
- 向こうではお客様はカフェでコーヒーを一日3杯4杯も飲んでいるのに、日本では全然だった……?
- 鈴木氏
- そうですね。もうほんとに手が痛くなるくらいコーヒーを淹れないといけない状況から、これぐらいしかコーヒーが出ないんだ……っていう。その頃ですね、日本はコーヒーを飲む人を増やす動きが足りないなと感じたのは。だから、コーヒーをもっと沢山の人に知ってもらうためには何をしたら良いのかを考え、それを行動に移すというのが僕の中のミッションだと思い始めたんです。
- 大井
- そこから名古屋に戻ろうと思ったキッカケは何だったのですか?
- この続きはVol.4 の「喫茶店文化の街“名古屋”での新たな挑戦」で!次回更新は12月22日(火)です。お楽しみに!
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