“人が集まる場所”の作り方(Vol.2)
福岡にある「ソネス デリカテッセン&カフェ」のオーナー、木下さんにお話をお伺いしているプレミアムコラム。Vol.2は木下さんがカフェをオープンすることになった経緯や、立ち上げ当初の苦労話をお聞きしました。木下さんが目指していた“人が集まる場所”を作るために一番効果的だったこととは?
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- 大井
- 木下さんがお若かった頃はどんな感じだったんですか?
- 木下
- 僕ですか、僕はもう芝居やるか、女性のお尻を追いかけるか(笑)
- 大井
- 笑
- 木下
- 僕は非常に珍しいんですけど、フリーターのときにお店を立ち上げたんですよ。
- 大井
- そうなんですか!?それはどうしてですか。
- 木下
- お店を始める前、役者をやっていた頃は、演技の糧にと思って色んな職を経験したんです。中途半場には辞めていないんですけど、19から24までの間に40くらいの仕事をしました。
例えば、道路工事やテントの組み立て、絵や洋服、アウトドアグッズの販売、洋食、和食、中華、イタリアン、バーでも働きましたね。あとテレビドラマの美術スタッフをフリーでやっていたときもあるし、もうちょっと痩せていた頃はモデル、CMのナレーションもしていました。
役者は楽しかったんですけど、それよりもお店やバーで働いているときのほうが色んな人に出会えて「こっちのほうがいいな」と店をやることを決めたんです。そこから11ヶ月後にお店をオープンしました。ちょうど25歳のときかな。
- 大井
- すごいスピードですね。では、昔は「自分が色々な場所に行って何かする」側だったのが、今度は「色んな人たちが集まってくる場所を作る」側になりたいと考えるようになった。それがカフェを立ち上げた始まりなんですね。最初の頃に苦労されたことはありますか?
- 木下
- もちろんです。普通、店をオープンする時は、その前に飲食店で修行したりするじゃないですか。でも僕は修行をほとんどやったことがなくていきなりオープンしたので、良い意味でいうと、既成概念にとらわれずにやってきましたけど、逆にいうと、基礎ができていなかったので、人よりも勉強しないといけなかったし、時間がかかったことが沢山ありました。
ただ今になって考えてみると、オープンする前は全然大変じゃなくて、オープンした後のほうが圧倒的に大変ですよね。この立地は、すごく人通りがあったわけではないので、どうやってお客様にここまで来てもらえるのか、集客に苦労しました。最初は友だちに飯を食わしてもらっていた状態ですね。
- 大井
- 最初から“人が集まる場所”にはならなかった……?
- 木下
- そうですね。そもそもその当時カフェという概念も、他にカフェもなかった。あとは僕も若かくて、ちょっと尖がっていたんですよ(笑)
- 大井
- 笑
- 木下
- 当時は若い人さえ来たらいいと思ってしまっていて、アーティストなど尖ったお客様が多かったですね。そのうち、僕の性格上、何か新しいことをやりたいと思うようになって、そういうお客様たちとお店で色々なイベントを始めたんです。例えば、カフェライブ。福岡で最初にカフェライブをやったのはうちなんですけど、他にも映画の上映や、お芝居などなど……最近ではカフェ落語に力を入れています。
- 木下
- そんな風に、ありとあらゆることをこの店でやっているうちに、収まらなくなってきてしまって。「もう周りのお店と一緒にやろうよ!」と企画したのが“CAFE WEEK(カフェウィーク)”というイベントでした。
CAFEWEEKの目的は、「あなたの近くにこんなに面白いお店があって、こんなに面白い人がいて、こんな面白いイベントがありますよ」というのを伝えたくて、人々の移動が多い春先に毎年開催していました。
運営や冊子作りは全て僕がやったのですが、当時はインターネットのこと把握しきれていなかったから、全部電話とFAXで連絡をとって……!それは大変でしたね。
2000年から2010年まで毎年開催していて、次第に福岡だけでなくエリアがどんどんと広がり、大きいときは北は青森から南は沖縄まで約60店舗くらいが参加しました。3週間の間に実施したイベントは約300。その結果、推定なんですけど約10万人のお客様が参加してくださったんです。
CAFE WEEKを通して、お客様には様々な店を知ってもらうことができましたし、雑誌で特集も組んでもらえたので、カフェとしての知名度もぐっとあがりました。それに店舗同士に繋がりも生まれたんですよね。小さいカフェでも協力すればそういったことができるんですよ。
- 大井
- 2010年以降、CAFEWEEKはどうなったのですか?
- この続きは、1月29日(金)公開予定の「Vol.3福岡大好き人間流の街づくり」で!どうぞお楽しみに!
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